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enfini_sidenさん

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2016/3/723:21:40

66年当時ならば、デストロイヤーは脂が乗っている全盛期にあると言っていいと思います。
54年にデビューしてのキャリア12年目。62年に素顔でのファイトをやめてデストロイヤーに変身してからロス地区のWWAで大暴れし、63年の初来日で力道山との死闘を繰り広げ、NWAの各地区を転戦しレイ・スチーブンスやニック・ボックウィンクル、マッドドッグ・バションらと抗争を繰り広げて、デストロイヤーの勇名は全米に広がっていった頃ですね。
(68年には別リングネームですがバーン・ガニアを破りAWA世界ヘビー級をも獲得します)

一方、ペドロ・モラレスは66年当時だと…58年にプロレスデビューを果たして8年目にあたります。
体格的には「Jrヘビーとヘビーとの間」と言ったところで、ドロップキックやフライングヘッドシザースなど軽快な動きで頭角を現しつつあるころです。
71年にニューヨークへ転戦しWWWF世界ヘビー級を奪取し、エースとしてMSGを賑わせていた頃が、実績的にプロレスキャリアのハイライトとなるのでしょうが… WWWF王者時代のモラレスは体重を増やしずんぐりとした体格になって、それまでの飛び技主体からパンチを主武器に戦うスタイルに変わっていました。
また、65年にはデストロイヤーを破ってWWA世界ヘビー級を奪取しており、65年~70年あたりまでが多彩な技を使う技巧派として活躍できていたのではないかと考えています。

66年当時のテーズは、66年1月にジン・キニスキーに敗れNWA世界王座から転落しましたが、王座返り咲きを諦めておらず、キニスキーを追ってその後もNWA挑戦を続けています。
7月からはロス地区WWAに転戦しましたが、この時期もNWA王座を狙っており、WWA王座にはさほどこだわっていなかったのかもしれません。
7月にデストロイヤーとシングル対戦し時間切れ引き分けとなり、その後はバディ・オースチンと連戦(抗争となった?)。
8月にオースチンがモラレスを破ってWWA王者になると、10月14日にオースチンの王座に挑戦し、これを破ります。
が、10月28日にマーク・ルーインに敗れ、テーズ自身としては珍しい短期政権で終わります。ですが、翌11月16日にまたもキニスキーのNWA王座に挑戦しているので…
もしかしたらテーズにとってのWWA参戦は、キニスキーとの対戦スケジュールが組まれるまでの「繋ぎ」だったのかもしれません。

当時のロス地区はデストロイヤー、モラレス、オースチン、ボボ・ブラジルらによるトップ戦線が充実しており、WWA王座も彼らによって王座が移動していたのですが、その一角であるオースチンを破ってのWWA王座戴冠だったので、デストロイヤー、モラレス相手に2フォールを奪う力はあるでしょうが、同時に敗れる可能性もあったんではないでしょうか。